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2017年、ロンドンで開幕した世界陸上(世界選手権ロンドン大会)の100m予選で、日本人3選手が準決勝進出を果たしました。

準決勝に3人の日本人が駒を進めるのは、オリンピック・世界選手権を通じて史上初の快挙とのこと。

 

特にサニブラウン・ハキームは予選2組1着での準決勝進出、向かい風0.6mの悪条件+最後は流した中で自己ベストタイの10秒05をマークしました。

日本人初の9秒台達成に向けて、一気に期待が高まっています。

 

今回は、日本が誇るスプリンター、サニブラウンについてまとめました。

サニブラウンは生まれも育ちも日本の日本国籍(日本人)

本名はサニブラウン・アブデル・ハキーム。

福岡県で生まれたサニブラウンは、日本の小学校・中学校・高校に通い、(当たり前ですが)日本語もペラペラの、正真正銘の日本人です。

もちろん国籍も日本です。

 

ガーナ人の父親日本人の母親との間に生まれたサニブラウン。

黒色人種とのハーフで皮膚の色が黒めなのと、名前が全てカタカナなことから外国人に思われがちですが、サニブラウンは日本人です。

 

ちなみに、同じく準決勝進出を果たしたケンブリッジ 飛鳥(本名:ケンブリッジ 飛鳥 アントニオ)も、ジャマイカ人の父親日本人の母親との間に生まれたハーフですが、日本人です。

※生まれはジャマイカで、2歳で日本に移住してきたとのこと。

日本人・アジア人と「10秒の壁」との関係

ここで一旦、日本人・アジア人と「10秒の壁」についての情報を整理します。

 

アジア人によって初めて「10秒の壁」が破られたのは2007年。

サミュエル・フランシスという選手が9秒99で走りましたが、彼の出身国はナイジェリア。

実は、1968年に世界ではじめて9秒台(9秒95)が記録されてから2003年に至るまで、長い間9秒台は黒色人種による記録のみでした。

 

純粋に「アジア人のDNA」だけで10秒の壁を突破したのは、中国人の蘇 炳添(スー・ビンチャン)がはじめて(2015年)。

2017年8月5日時点では、黄色人種による9秒台はまだ1人しか達成していない記録です(スーは2度、9秒99で走っています)。

1998年に伊東 浩司が10秒00で走って以来、桐生 祥秀が10秒05以内を5度も記録するも、9秒台はなかなか出せずにきています。

 

(追記)桐生がついに10秒の壁を突破しました(9秒98)!

日本史上初の9秒台が出たのは、奇しくも2017年の9月9日でした。

9秒台への執念が日時にも乗り移った!?

 

(世界選手権ロンドン大会 準決勝前時点での日本人歴代記録10傑)

 

サニブラウンの9秒台達成は時間の問題?

サニブラウンは、2015年に行われた陸上世界ユース選手権で、ウサイン・ボルトの大会記録を更新しての100m・200m二冠を達成し、世界にその名を轟かせた逸材。

ポテンシャルの高さでは現役選手屈指と言えます。

 

ただ、2016年の日本選手権の前に左太ももの肉離れを起こしてしまい、無念の戦線離脱。

怪我の間にリオ五輪が行われ、4×100mリレーでは日本代表が日本新記録・アジア新記録を樹立しての銀メダル。蚊帳の外となって悔しい思いをしました。

 

しかし、その間に自身の体と向き合って、積極的に海外でトレーニングを積んでいたサニブラウン。

課題とされていたスタート直後の加速を筋力アップで克服し、得意の後半では強化された体幹によるブレないフォームで理想的な走りを実現。

2017年は日本選手権で100m・200m二冠を達成し、完全に自分の走りを手に入れています。

 

世界選手権ロンドン大会の100m予選、悪条件下での好タイムは偶然ではなく必然でしょう。

準決勝で念願の9秒台、そして日本人初の決勝進出を決めても、全く驚かないレベルまで来ています。

 

ちなみに、2017年秋からは陸上の名門校・アメリカのフロリダ大学への進学が決まっているサニブラウン。

飽くなき探究心と向上心を胸に、さらなる飛躍を目指しています。

 

個人的にサニブラウンには、同じくハーフで圧倒的な成績を挙げた室伏 広治のように、その種目で世界の頂点を常に目指せるレベルのパフォーマンスを期待したいと思っています。

※室伏は日本人の父親とルーマニア人の母親との間に生まれました。

 

日本人による100m競走での9秒台は、まもなくその時が訪れるはずです。

歴史的瞬間を、しっかりと目に焼き付けましょう!

 

(追記の通り桐生が先に9秒台を出しましたが、サニブラウンは2019年5月に9秒99を記録。日本人史上2人目となる9秒台を達成しました!)