こんにちは、@mori_ichi_です。
日々テニスニュースをチェックしていますが、ニュースの見出しを見る度に気になっている言葉があります。
「格下」です。
同じように気になる言葉に「屈辱」もあります。
使いどころによっては「まさかの敗退」にも違和感を覚える時があります。
今回は、ニュースの見出しにたびたび登場する「格下」などの表現について、物申しています。
ランキング下位=格下という自動変換
今回取り上げる「格下」という表現は、錦織圭の試合結果を伝えるニュースの見出しによく現れます。
なので「錦織 格下」と検索して、出てきたニュースの見出しをチェックします。
(2017年1月の記事執筆当時)全豪オープン2017が開催されていたので、全豪関連の記事が多く出てきました。
次に挙げる2点は、全豪2017の1回戦についてのニュースの見出しです(以下、『』で囲まれた部分)。
『錦織、格下に苦戦も全豪初戦突破』
『錦織、全豪7年連続初戦突破も格下に苦しむ「第4セットで終わらせるべきだった」』
これらは1回戦で、当時世界ランキング45位のアンドレイ・クズネツォフに、フルセットの末勝利した試合の記事です。
当時の錦織の世界ランキングは5位。
確かに45位と比較すると「格上」ということになりますが、 どうもこの「格」という言葉が引っかかります。
「格下」というと、何だか見下しているようなリスペクトのない印象を受けませんか?
地位や格式・力量が下であること。↔ 格上 「 -の相手には負けられない」
気にしているのは僕だけかもしれませんが、どうしても違和感があります。
単に「ランキング下位」とか「下位選手」とかではダメなんでしょうか...。
違和感の正体の1つに、現状のランキング差だけで安易に「格上」「格下」と見出しを付けているだろう点</sられます。
そもそも、テニスのランキングは「およそ過去1年間の戦績を反映したランキング」であり、 必ずしもその選手の現在の強さを反映したランキングとは言い切れません。
テニスファンならご存知の通り、コートのサーフェスなどの環境要因によって、同じ選手でも実力が大きく変動する場合があります。
ハードコートで圧倒していた相手に、クレーコートでは圧倒されることも往々にしてあります。
サーフェスなどの条件が同じだとしても、試合当日に絶好調の下位選手が、不調の上位選手を倒すことなどいくらでもあります。
個人的な所感としては「TOP50に入ったことのある選手なら、ランキング一桁を倒したとしてもそこまで驚かない」です。
「すごく調子が良かったのかな」
「作戦が上手くハマったのかな」
「(負けた方が)調子が悪かったのかな」
くらいにしか思いません。
テニスニュースを担当する記者の方々は、こういった知識のないまま「ランキング下位」=「格下」と自動的に変換しているのではないでしょうか。
あるいは分かった上で、あえて「格下」の文字を使うことでインパクトを出そうとしているのか...。
何にせよ、「格下」「格上」付きの見出しを見るのは、あまり気分の良いことではありません。
格下に潜む見下し感と、誤ったテニス用語
次にご紹介するのは、全豪2017の3回戦についての見出しです。
3回戦の相手はルカシュ・ラツコで、世界ランキングは121位。
記者にとっては45位のクズネツォフよりも「格下」という扱いになるので、見出しにも反映されそうですが...。
『錦織 余裕の6年連続16強 格下いなした“省エネ”ストレート』
『錦織、全豪6年連続16強!初ナイターで格下にストレート勝ち』
...。
1つ目のような「格下+α」の表現も、ネット上では散見されます。
たとえ圧勝したとしても、「余裕の」という表現は酷いです。モラルの問題ですね。
2つ目の見出しでは、また別の問題が浮き彫りになっています。
「ナイター」です。
テニスファンならご存知の通り、夜に行われる試合のことはテニス界では「ナイトセッション」といいます。
見出しの字数制限の兼ね合いかもしれませんが、ナイターは不適切です。
錦織人気でテニスが注目されるのは喜ばしいことだと思っていますが、こういった誤った言葉や常識が根付いてしまわないかが気掛かりです。
アンフォーストエラー=凡ミスと和訳するメディアも後を絶ちません。
元世界TOP10の若手テニス選手も「格下」
最後にご紹介するのは、ブリスベン国際2017の決勝戦について見出しです。
これらは、あまりに衝撃すぎて我が目を疑いました。
『錦織 “格下”に脱帽 17年開幕Vならず…決勝5連敗』
『錦織、格下ディミトロフに敗れ開幕V逃す』
(当時)世界ランキング17位のグリゴール・ディミトロフまで「格下」扱い...。
もう散々述べてきたので割愛しますが、最高ランキング8位、ウィンブルドンのセミファイナリストに対して「格下」はあんまりです。
(2018年3月追記)その後、2017年ツアーファイナルを制するなど目立った活躍を見せたディミトロフは最高位3位を記録しました。
メディアが作り上げる「絶対強者・錦織」像
冒頭2つ目でご紹介した『錦織、全豪7年連続初戦突破も格下に苦しむ「第4セットで終わらせるべきだった」』 の記事中に、錦織のコメントが引用されていました。
▼錦織の話 タフな試合だったが勝ててよかった。出だしが良くなかった。足も動いていなかった。第4セットのタイブレークを取って終わらせるべきだった。最終セットは集中していいテニスができた。ファンの声援が力になった。
文脈から、自戒を込めての「第4セットのタイブレークを取って終わらせるべきだった」なのが分かります。
錦織本人としては、「勝ててよかった」の気持ちの方がはるかに大きかったでしょう。
しかし、見出しからは強者の驕りのような妙なニュアンスが伝わってきます。
このような「見出しの編集」はテニスニュースに限らず往々にしてあるものですが、何とかならないものでしょうか...。
「屈辱の初戦敗退」みたいな見出しもよく見かけますが
屈服させられて辱めを受けること。面目を失い恥ずかしい思いをすること。 「 -を晴らす」 「 -感」
初戦敗退は決して恥ずかしいことではありませんし、「悔しい初戦敗退」「残念な初戦敗退」などの方がふさわしい表現ではないでしょうか。
どんな試合であっても、プロ同士が戦う以上「勝って当然」の試合なんてないと思います。
負けた時には、純粋に勝った方を讃える姿勢でいたいものです。